掲載:2019年 vol.35

日本の原風景をたずねる 春うららかな小豆島

中山の千枚田
700枚を超える大小さまざまな田んぼが段々に連なる、中山の千枚田。春には張った水にやさしい陽光がきらめき、秋には黄金色に輝く稲穂が揺れる風景が見渡せます。

多島美が広がる海と里山ののどかな風景が魅力。

  やかな瀬戸内海に浮かぶ、香川県最大の島・小豆島。本州や四国からの陸路(橋梁・トンネル)や空路はなく、船のみで渡る離島としては、国内最大の人口を有する島です。
 その歴史は古く、「古事記」には伊邪那岐(いざなぎ)・伊邪那美(いざなみ)の二神が、日本で10番目に「小豆島(あづきじま)」を国生みしたと記されています。また「日本書紀」にも「阿豆枳辞摩(あずきじま)」という記載があり、その後「小豆島(しょうどしま)」と呼ぶようになったのは、鎌倉中期頃と言われています。
 小豆島は温暖な瀬戸内海気候で、みかんやオリーブ、すももなどが栽培され、素麺やしょうゆ、ごま油の生産地としても全国的に有名です。また、島の中央の山間部である中山・肥土山(ひとやま)地域では稲作も盛んで、美しい棚田が広がる風景は「日本の棚田百選」にも選ばれています。ここは「日本の名水百選」の一つである「湯船の水」の源泉の下に位置し、毎年おいしいお米が作られています。農村ならではの伝統行事は現在も受け継がれ、夏に竹の松明を持って畦道を歩き害虫退治をして豊作を願う「虫送り」や、「農村歌舞伎(中山農村歌舞伎・肥土山農村歌舞伎)」が毎年行われています。

地図 祖谷渓の小便小僧

中山農村歌舞伎
江戸時代中期、お伊勢参りに出かけた島の人々が大阪で上方歌舞伎に触れ、衣装や名場面を描いた絵馬を島に持ち帰って神社に奉納したのが始まりと言われています。1987(昭和62)年に、舞台が重要有形民俗文化財に指定されました。

名作『二十四の瞳』のノスタルジックな世界が広がる映画村。

二十四の瞳映画村

二十四の瞳映画村

  豆島には、ゆかりのある多くの芸術作品や文学作品があります。中でもよく知られているのが小説『二十四の瞳』です。著者である壺井栄氏は小豆島の出身で、上京するまでこの地で過ごしました。小説は、瀬戸内海べりの村の分教場に赴任してきた大石先生と、個性あふれる12人の生徒、親、村人たちとのふれあいを描いています。昭和恐慌から太平洋戦争へと時代が進む中、その波にのまれていく人々の苦しみや悲しみ、戦争の悲惨さを訴えた作品でもあります。後年、映画化やドラマ化も行われ、今も多くの人の胸に感動を残しています。
 1987年に公開された映画「二十四の瞳」で、小豆島での撮影を行った際に使用した施設を活用したのが、映画と文学のテーマパーク「二十四の瞳映画村」です。映画で「岬の分教場」として使用された旧苗羽小学校田浦分校(1972年の閉鎖まで実際に村の小学校の分校だった校舎)をはじめ、壺井栄文学館、昭和映画の香りを存分に満喫できるギャラリー松竹座映画館が並び、一帯はノスタルジックな世界が広がります。

岬の分教場 岬の分教場

岬の分教場

二十四の瞳映画村

醤油の仕込み蔵には、熟成を促す酵母菌が生きている。木桶で時間をかけてつくられた醤油はまろやかな味わい。

 4 00年以上の醤油造りの歴史を持つ小豆島。文禄年間(1592年〜1596年)に製造が始まり、豊臣秀吉にも献上されたと言います。明治時代には最盛期を迎え、当時は400軒もの醤油屋がありました。終戦後は、醤油を使った佃煮がつくられるようになりました。今も20軒以上の醤油工場ともろみ蔵があり、昔ながらの製法を守りながら、醤油や佃煮がつくられています。
 苗羽(のうま)地区・馬木地区には、「醤(ひしお)の郷」と呼ばれる一帯があり、近代以前からの醸造法である木桶仕込みを行う醤油蔵が日本で最も多く集まっています。その中で、マルキン醤油記念館(旧醤油醸造工場)と醤油醸造蔵が、1996(平成8)年に国の登録有形文化財に登録。その後も多くの文化財が登録されるほか、2009(平成21)年には33の施設が近代化産業遺産に登録されました。見学をはじめ商品の購入ができる工場や蔵も多く、日本の食文化の豊かさを再認識できます。

醤油蔵

醤油蔵

マルキン醤油記念館

マルキン醤油記念館

※見学は施設によって事前予約が必要です。

しょうゆソフト

しょうゆソフト

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