透析を受けながら活躍する人々

掲載:2019年 vol.35

齊藤江理子さん

「東北6県の中でも、岩手県は患者会の活動が一番活発だと言われます。
若い方も、遠慮したり恥ずかしがったりせずに、ぜひ参加してほしいです」と齋藤さん。

今の私があるのは、
周りのみなさんのおかげ。
目標を胸に、明るい笑顔で毎日を大切に過ごしていきたい。

齊藤江理子さん

岩手県腎臓病の会 青年部ミルキーウェイ 部長

齊藤江理子さん
1971年、岩手県下閉伊郡山田町生まれ。3歳の時に腎臓の機能が弱いと診断され、入退院を重ねる。小学生・中学生と盛岡市内で学園生活を送りながら保存期を過ごし、中学卒業時に血液透析のためのシャント手術を行う。手術から2ヶ月後、15歳で透析を導入。現在も週に3回、4時間血液透析を行っている。中学卒業後は実家へ戻り、貧血を克服してからは、腎友会の活動を開始。現在は「岩手県腎臓病の会 青年部ミルキーウェイ」の部長として、精力的に全国に出かけて活躍している。

初めて参加した腎友会の交流会で、
同じ悩みを持つ人たちに出会い、
勇気づけられました。

 今年で透析歴32年を迎えます。今思うと、私は生まれつき腎臓が弱かったのかもしれません。高熱を出すことが多かったのですが長らく原因がわからず、3歳で入院した時に腎臓に原因があるとわかりました。その後も入退院を繰り返し、小学校へ進学する頃に一旦退院しました。でも他の子どもたちと同じように通学するのが難しくて、一人で実家から離れ、盛岡市で学園生活を送ることになりました。病院で治療しながら、養護学校へ通う生活です。月に1度か2度、母が面会に来てくれるのが楽しみで、カレンダーを見ながら指折り数えて待っていたのを今も思い出します。
 こうして中学生まで、いわゆる保存期を過ごし、卒業の時期にシャントを作りました。その2ヶ月後に血液透析を開始。導入してから2、3年後には生体腎移植の話も出ました。父は、仕事で一年の半分ほどを不在にしていましたが、自分の腎臓を私に移植してはどうかと言ってくれました。ありがたいことでしたが、父が働いて家計を支えてくれていることなどを考えると、そのままで良いと思いました。
 中学を卒業後、ずっと体調がすぐれなかった私は、実家で生活することにしました。重度の貧血で起き上がって歩くことも難しく、息切れもひどかったのです。でも1991年頃に新しい造血剤が開発されて処方してもらうようになると、症状が劇的に改善されて動けるようになり、その頃から腎友会の活動にも参加するようになりました。もともと透析導入と同じ時期に会員にはなっていたものの、私自身、子どもの頃から引っ込み思案で人と積極的に話すタイプではなかったこともあって、参加していなかったんです。役員の方が宿泊交流会に誘ってくださった時も、最初は遠慮がちに断っていました。でも、実際に参加してみるとすごく楽しくて! 同じ病気を持つ人たちとの会話で、癒されたり勇気づけられました。特に私は幼少期の頃から腎機能が弱かった影響で小柄なことがコンプレックスでしたが、同じ境遇の方もいらっしゃって、悩みや胸の内を話せる場に出合った喜びを感じました。今では、「岩手県腎臓病の会 青年部ミルキーウェイ」の部長を務めています。これまで全国大会には8回、国会請願には2回参加させていただきました。以前の自分のことを思うと、大きな変化であり進歩だと思います。
 今の私があるのは、周りのみなさんのおかげです。両親や姉がいて支え続けてくれたことはもちろん、腎友会では一人ひとりがやさしく気遣ってくださいます。また6年ほど前に変形性股関節症を患ったのをきっかけに通っている整骨院のスタッフのみなさんも、明るく元気で、通院が楽しみになるほどです。そして、15年前には主人と患者会で出会い、9年前に結婚しました。透析のこともあり「一生結婚しないだろうな」と思っていましたが、人生はわかりません。朗らかないい人で、心から感謝しています。
 子どもの頃、「なぜ私は病気で生まれてきたのか」と、とてもつらかった。今はそれも運命なのかなと思っています。いま私には目標があって、1つは青年部ミルキーウェイの活動を次世代の若い方へしっかり引き継いでいくこと。そしてもう1つは、夫婦で元気に少しでも長生きすることです。明るい笑顔で、毎日を大切に過ごしていきたいです。
齊藤江理子さん

透析32年目の齋藤さん。「この前シャントの拡張手術をしました。最初の手術から32年間同じシャントだと話したら、先生がびっくりされて(笑)。合併症も気になりますが、いろんな情報やアドバイスをくださる方も多いので、一つひとつ向き合っていきたいですね」。

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