世界遺産登録を目指す
長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産

掲載:2017年 vol.28

野崎島の集落跡

熊本・天草と同様に、キリスト教の伝来と繁栄、激しい弾圧、潜伏を経験してきた長崎。
2つの地方の12におよぶ関連資産は、平成30年の世界遺産登録を目指しています。

野崎島の集落跡
19世紀以降、潜伏キリシタンが、神道の聖地であった野崎島に移住することによって自らの信仰を継続させようと形成した集落。

厳しい弾圧の中でも、独自の信仰を続けた「潜伏キリシタン」の伝統を語り継ぐ場所。

 長崎と天草地方にキリスト教が伝わったのは1550(天文19)年。前年に日本に初めてキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルが平戸へ渡り、広めました。長崎港には、多くのポルトガル船が寄港して宣教師が布教の拠点としたほか、地元の領主であった大村純忠が洗礼を受けて日本初の「キリシタン大名」となり、領内には強固な信仰組織が形成されました。
 しかし、豊臣秀吉が世を治めるようになると「バテレン追放令」を発布。はりつけによって殉教する人も出ました。徳川幕府に政権が移ると、禁教政策はさらに強化され、1614(慶長19)年には禁教令を全国に発布。1637年に勃発した原城を舞台とした「島原・天草一揆」の後、幕府によって海禁(いわゆる鎖国)が行われ、最後の神父が殉教して以降は信仰組織を維持しながら、潜伏キリシタンたちは山間部や離島へ移住し自分達自身で密かに信仰を続けました。
 19世紀中期、幕府が開国へと転向し、長崎にできた外国人居留地には大浦天主堂が建設されました。潜伏キリシタンがここを訪れ、プティジャン神父に信仰を告白したことは「信徒発見」と呼ばれ、驚きと感動をもって当時のローマに伝えられました。今もキリスト教史に残る出来事として、語り継がれています。明治時代になると、禁教は解かれ、各地の潜伏キリシタンたちは、それまでの信仰を続けた者(かくれキリシタン)や仏教や神道へ転宗した者もありましたが、カトリックへ復帰した人々は、潜伏してきたそれぞれの集落に教会堂を建設しました。それらは長く厳しい道のりの中で、2世紀半もの間、潜伏キリシタンたちが独自に育んだ信仰形態が終焉したことを静かに物語っています。

頭ヶ島の集落
頭ヶ島の集落

頭ヶ島の集落
禁教期の潜伏キリシタンが、病人のために使われていた島へと移住することによって、密かに信仰を継続しようとした潜伏キリシタンの集落である。

黒島の集落

黒島の集落
19世紀半ばに潜伏キリシタンが藩の牧場跡の再開発地となっていた場所へと移住し、信仰を継続しようとした潜伏キリシタンの集落。

世界遺産登録を目指す 12の構成スポット

原城(はらじょう)跡

#01 長崎県南島原市
原城(はらじょう)
禁教初期に有馬と天草のキリシタンが蜂起した「島原・天草一揆」の舞台となった城跡。

平戸(ひらど)の聖地と集落

#02 長崎県平戸市
平戸(ひらど)の聖地と集落
(春日(かすが)集落と安満岳(やすまんだけ))

平戸島西海岸に位置し、東側の安満岳から伸びる尾根に挟まれた谷状の地形と海に囲まれた集落。安満岳は、禁教期には伝統的な神道・仏教に基づく宗教観と潜伏キリシタンの信仰とが重層し、3つの信仰が並存していた。また、潜伏キリシタンの指導者の家の「納戸」と呼ばれる部屋の中では、信心具が密かに伝承された。

平戸の聖地と集落(中江ノ島)

#03 長崎県平戸市
平戸の聖地と集落(中江ノ島)
この島では、禁教初期に平戸藩による潜伏キリシタンの処刑が行われた記録がある。殉教地として潜伏キリシタンが密かに崇敬した。

天草の﨑津(さきつ)集落

#04 熊本県天草市
天草の﨑津(さきつ)集落
生業である漁業に根ざした身近なものを信心具として代用(白蝶貝を加工し、キリスト教の聖具であるメダイを作るなど)。これにより自らの信仰を密かに継続しようとした潜伏キリシタンの集落。

外海(そとめ)の出津(しつ)集落

#05 長崎県長崎市
外海(そとめ)の出津(しつ)集落
潜伏キリシタンが聖画像を密かに拝むことによって自らの信仰を秘匿し、教会暦及び教理書をよすがとして信仰を継続しようとした潜伏キリシタンの集落である。

外海の大野集落

#06 長崎県長崎市
外海の大野集落
日本古来の神道に基づく神社に対して、潜伏キリシタンが自らの信仰の対象を密かに重ねることにより、信仰を継続しようとした。

黒島の集落

#07 長崎県佐世保市
黒島の集落
島外各地から黒島へと移住した潜伏キリシタンは、表向き所属していた仏教寺院で密かに「マリア観音」の像に祈りを捧げた。既存の仏教集落の非干渉にも助けられて、自らの信仰を継続した。

野崎島(のざきじま)の集落跡

#08 長崎県北松浦郡 小値賀町
野崎島(のざきじま)の集落跡
外海から海を渡った潜伏キリシタンは、五島列島一円から崇敬を集めていた沖ノ神嶋神社の神官の居住する集落以外は未開地となっていた野崎島の中央部及び南部の2箇所に移住。神社の氏子となることにより在来の神道への信仰を装いつつ、密かに潜伏キリシタンとしての信仰を続けた。

頭ヶ島(かしらがしま)の集落

#09 長崎県南松浦郡新上五島町
頭ヶ島(かしらがしま)の集落
外海から中通島の鯛ノ浦へと渡った潜伏キリシタンは、仏教徒の開拓指導者のもとに無人島であった頭ヶ島へと入植。閉ざされた環境下で密かに潜伏キリシタンとしての信仰を継続した。

久賀島(ひさかじま)の集落

#10 長崎県五島市
久賀島(ひさかじま)の集落
潜伏キリシタンが藩の開拓移民政策に従い、未開拓地に移住して自らの信仰を継続しようとした集落。

奈留島(なるしま)の江上(えがみ)集落

#11 長崎県五島市
奈留島(なるしま)の江上(えがみ)集落
(江上天主堂とその周辺)

潜伏キリシタンが禁教下の移住という過酷な条件の中で移住先の社会・宗教とも共生しつつ自らの信仰を継続した潜伏キリシタンの集落である。

大浦天主堂

#12 長崎県長崎市
大浦天主堂
19世紀後半の日本の開国により来日した宣教師が1864年に建造した教会堂。16世紀に長崎において殉教した26聖人に捧げられた。献堂の直後、長崎近郊の潜伏キリシタンが密かに訪れ、自分たちの信仰を告白した「信徒発見」の舞台である。

Ⓒ日暮雄一氏撮影

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