幕末動乱の舞台へ 龍馬ゆかりの地をめぐる

掲載:2010年 夏 vol.04

幕末動乱の舞台へ 龍馬ゆかりの地をめぐる

幕末の動乱期を、高い志と壮大な夢を抱いて
駆け抜けた坂本龍馬。
勝海舟への弟子入り、神戸海軍塾の創設、
亀山社中の設立、薩長同盟の締結、大政奉還・・・・・・。
脱藩から暗殺されるまでの5年間、
龍馬は日本の夜明けをめざし、東奔西走します。
当時の常識にとらわれず、日本の新しい時代を切り開こうとした龍馬の目には、いったい何が映っていたのでしょう。
龍馬が見つめていた世界に思いを馳せ、
ゆかりの地をたどります。

ポイント 3

偉業を成し遂げた地 京都

 慶応2年(1866)、龍馬の仲介により、京都において薩長同盟が結ばれました。このころの龍馬は亀山社中から改組した海援隊の事業拡大、大政奉還へと、精力的に全国を駆けめぐります。しかしその翌年、龍馬は刺客の襲撃を受け、京都の地で生涯を閉じるのです。
 京都には、龍馬が襲撃された「寺田屋」や、暗殺の舞台となった「近江屋跡」など数多くの史跡が残り、龍馬の存在をリアルに感じることができます。龍馬の墓は「京都霊山護国神社」にありますが、今も献花が絶えません。

円山公園 坂本龍馬・中岡慎太郎像

1. 円山公園 坂本龍馬・中岡慎太郎像
公園の南側に2人の像が立つ。長身の龍馬に対し、中岡は背が低くバランスが悪いため、中岡がしゃがんだ姿勢になっているといわれる。

京都霊山護国神社 坂本龍馬・中岡慎太郎の墓

2. 京都霊山護国神社 坂本龍馬・中岡慎太郎の墓
近江屋で暗殺された龍馬、中岡、巻き添えになった下僕の藤吉の墓が並んで立つ。護国神社にはほかにも多くの志士たちの墓がある。

幕末維新ミュージアム・霊山歴史館

3. 幕末維新ミュージアム・霊山歴史館
幕末維新期に活躍した志士、大名、公家などの遺品や遺墨を展示。龍馬や中岡、西郷隆盛、高杉晋作などの遺品も見ることができる。

近江屋跡

4. 近江屋跡
慶応3年(1867)11月、龍馬は近江屋の2階で中岡慎太郎とともに暗殺された。犯人は京都見廻組説が有力だが、いまだ謎も多い。

池田屋騒動之跡

5. 池田屋騒動之跡
池田屋で密談中の浪士を近藤勇ら新選組の4人が急襲。12人が死亡、残りも全員が捕縛された。龍馬と親しかった望月亀弥太らも死亡。

寺田屋

寺田屋
龍馬の定宿。薩長同盟を成立させた翌日、寺田屋に宿泊していた龍馬は伏見奉行所の補吏に襲撃されるが、お龍の機転により助かった。

写真協力:京都市
ポイント 4

龍馬とお龍の思い出の地をたどる

鹿児島へ 日本初の新婚旅行
 慶応2年(1866)、寺田屋で襲われケガを負った龍馬は、湯治を兼ねてお龍とともに薩摩への旅に出ます。これが、日本で初めての新婚旅行といわれる旅行です。約1ヵ月にわたる新婚旅行では、霧島温泉、塩浸温泉、日当山温泉などをめぐったほか、霧島山の登山を楽しんだり、霧島神宮を参拝し、2人の絆を深めました。

桜島

桜島
鹿児島湾に浮かぶ周囲約55kmの半島。龍馬とお龍は霧島までの道中、桜島を見ながらクルージングも楽しんでいる。

霧島神宮

霧島神宮
高千穂峰山頂にある天の逆鉾を見るために高千穂峰に登った龍馬とお龍。山を下ると、霧島神宮にも参拝したという。

霧島連峰

霧島連峰
鹿児島と宮崎の県境に連なる火山群。ミヤマキリシマが咲く絶景は、高千穂峰に登った龍馬たちを感動させた。

写真協力:(社)鹿児島県観光連盟

下関で過ごした仲睦まじい新婚生活
 薩長同盟締結後、龍馬が終の棲家として居を構えたのが下関。経済的に龍馬を援助した伊藤家の一室を借り受け、事業拡大をめざすとともに、お龍を呼び寄せ新婚生活を始めます。京都で暗殺された龍馬は、再び下関の地を踏むことはできませんでしたが、下関には龍馬とお龍が2人で眺めたであろう風景が今も広がっています。

巌流島

巌流島
龍馬とお龍が深夜、島にわたり花火を上げたところ、対岸で「幕府が攻めてきた」と大騒ぎになったという逸話がある。

関門海峡

関門海峡
源平の壇ノ浦の戦いの舞台となった海峡だが、幕末には長州藩と列強諸国の下関戦争や幕府との長幕戦争の舞台となった。

本陣伊藤邸跡

本陣伊藤邸跡
龍馬とお龍が暮らした場所。龍馬が京都で暗殺された時、お龍はここに滞在していた。建物は現存せず、碑だけが残っている。

写真協力:下関市

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