風まち・月まち・潮まち
尾道・鞆の浦 瀬戸内の旅

掲載:2014年 vol.17

尾道・鞆の浦 瀬戸内の旅

山々と海に挟まれ、南には向島を望む、瀬戸内の港町・尾道。きらきらと輝く春の海は、旅人の足取りを軽く、心をおだやかにしてくれます。
今号のキーワードは「待つ」。
出航をうながす風や潮、美しい月を待ちながら、人々がゆったりと時間を重ねてきた「尾道」と、同じく歴史ある港町「鞆の浦」をご紹介しましょう。

尾道水道
本州の尾道と向島に挟まれた瀬戸内海の水道。幅は約200〜300メートルあり、尾道大橋と新尾道大橋が架かる。生活を支える交通網として5本のフェリー(渡船)航路があり、朝夕は自動車で通勤する人々や、自転車を押しながら乗り降りする学生の姿が見られる。

年貢の積み出しや北前船で繁栄。
豪商が造り上げた、尾道の町。

 北と東西の三方を山に囲まれ、南は瀬戸内の海に面した尾道。古くから交通の要所で、平安時代の1168(仁安3)年には広大な荘園「備後大田庄」の年貢積み出しのための蔵屋敷が建てられ、翌1169(仁安4)年には朝廷公認の港となりました。1189(文治5)年ごろには年貢の積み出し港として栄えはじめ、江戸時代には北海道と大阪を結ぶ大型船「北前船」の寄港も開始。当時「北前船が寄港すると町がひっくり返るようなにぎわいを見せた」と言われるほど繁栄しました。富を蓄えた人たちは豪商と呼ばれ、その財を惜しみなくお寺の建立や町の整備などに投資しました。それらは現在でも数多く残り、尾道らしい町並みを作り上げています。

風まち
ふり向けば、石畳の先に見える海

 尾道は、海と山に挟まれて平地が狭く、山の斜面に住宅が密集しています。細い路地が入り組み、急な坂が続くことから「坂の町」とも呼ばれます。美しい石畳や、坂の上から海を見下ろす印象的な風景は古くから多くの文人に愛され、かつて作家の志賀直哉や林芙美子、歌人の正岡子規などが訪れ滞在しました。千光寺山山頂付近には25の文人の碑が並び、これらをたどる道は「文学のこみち」と呼ばれています。
 志賀直哉はこの地で『暗夜行路』の草稿を書き、林芙美子は尾道を舞台に『放浪記』を執筆しました。『放浪記』には、このような一節があります。「海が見えた。海が見える。五年振りに見る尾道の海はなつかしい。汽車が尾道の海にさしかかると煤けた小さい町の屋根が提灯のように拡がってくる。赤い千光寺の塔が見える。山は爽やかな若葉だ。緑色の海の向こうにドックの赤い船が帆柱を空に突きさしている。私は涙があふれていた」。彼女が13歳から6年間を過ごした大正中期の面影は、今も町をそぞろ歩きながら見つけることができます。時間が止まったような空気に、人々は優しく迎えられ、離れても再び訪れたいと懐かしむ。それもまた当時からの魅力なのでしょう。

尾道の景色
坂道

坂道
美しく整備された石畳の坂道。急な階段もあるが、時折振り返ると見える、海と町並みの風景が素晴らしい。

文学のこみち碑

文学のこみち碑
25ヵ所に配置されている文人の碑。尾道にまつわる俳句や小説の一説が刻まれている。

石階段と踏み切りも、尾道ならではの風景。

石階段と踏み切りも、尾道ならではの風景。

坂の町、猫の町

 尾道の町を歩くと、あちらこちらで愛らしい猫に出合います。日当たりの良い場所でゆったりと寝そべり、旅人の行方を眺めています。人に馴れているので、時には猫の方から寄ってくることも。こんなふれあいも、港町ならではの楽しさです。

月まち
 坂道をたどりながら中心街を北へのぼると、広大な千光寺公園があります。ここは「日本のさくら名所100選」にも選ばれた場所で、これからの季節はお花見におすすめです。開花時期は夜桜も楽しめ、提灯のあかりに照らされた参道も見もの。また港から千光寺山を見上げると、目前に広がる海と、山をかけ上がるように咲く桜、時にはやさしい朧月が浮かび、一幅の絵画のような景色が望めます。かつて尾道水道を渡った北前船の船員も、この美しい眺めに、心をうばわれたことでしょう。
 千光寺公園へは、ロープウェイに乗ってのぼることもできます。365メートルの距離を3分間で結ぶロープウェイからは、高度が増すにつれて尾道の町並みや尾道水道、しまなみ海道、四国の山々まで見渡せます。春は、眼下に満開の桜が雲海のように広がり、贅沢な空中散歩を楽しむことができます。

時折出合う猫たち。 時折出合う猫たち。

時折出合う猫たち。不思議な猫の石を見かけることも。

千光寺公園 千光寺公園

春には桜が咲き誇る千光寺公園。敷地には展望台や尾道市立美術館、子ども向けの遊園地もある。

千光寺山ロープウェイ

町の中心と、千光寺山山頂を結ぶ「千光寺山ロープウェイ」。桜が美しい春と、新緑がまぶしい夏が特におすすめ。

一部写真提供:広島県

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