雅な伝統文化の街
美をめぐる金沢

掲載:2014年 vol.16

美をめぐる金沢

豊かな自然と伝統文化に彩られた金沢。
武家や商家により支えられ独自に発展してきた「加賀百万石」の街は、今もその誇りと艶やかな風情を残し、世界を魅了し続けています。
新年号の今回は、金沢の人と街が脈々と受け継いできた、素晴らしい「美の世界」をご紹介しましょう。

ひがし茶屋街
1820(文政3)年につくられ、3つある茶屋街の中で、もっとも格式が高いとされる。かつて藩政期には2階建てが許されなかったものの、茶屋街だけは例外で、優雅な2階建ての建物が並んだ通りは大いに賑わった。

京と江戸の文化を取り入れた、
独自の「武家・町人文化」が発展。

 江戸時代、幕府を除く大名の中で最大の石高を誇る「加賀藩」の城下町として栄えた金沢。当時、人口規模では江戸・京・大阪に次ぐ大都市でした。
 金沢は、その雅な伝統文化から、時に「小京都」と表現されることがあります。確かに京文化を一部取り入れてはいるものの、「公家・町衆文化」の京に対して金沢は「武家・町人文化」です。江戸文化も取り入れた、武家社会中心のまったく独自の文化をつくり上げたのです。
 金沢は、一時街の半数が武家であったと言います。さらに、その後の第二次世界大戦中も空襲による被害を受けなかったことから、今でも市街のあちこちに歴史を感じさせる面影が残っています。特に「ひがし」「にし」「主計(かずえ)」と呼ばれる三つの茶屋街は、しっとりとした風情が漂う街並みで、夕暮れ時には三味線や太鼓の音があちらこちらから聞こえてきます。

にし茶屋街 主計町茶屋街

にし茶屋街(上)と主計町(かずえまち)茶屋街(下)
ひがし茶屋街と同時期につくられた「にし茶屋街」は、所属する芸妓がもっとも多く、庶民的な雰囲気。1869(明治2)年にできた「主計町茶屋街」は、浅野川の河畔に広がり、国の重要伝統的建物群保存地区に指定されている。

磨き抜かれた美意識と、
豊かな教養が尊ばれる街。

 金沢という街は、「空から謡(うたい)が降ってくる」と言われます。謡とは、能楽における声楽のこと。室町のころから、舞台以外でも習いごとや娯楽として親しまれてきました。この謡を、屋根の瓦職人や樹上の植木屋が仕事の合間に口ずさんでいたことから、このように言われるようになったそうです。また商人たちも、大名との宴席や祝宴で披露するために稽古に励みました。今では謡をたしなむ人の数は日本一。このように金沢は、古くから立場にかかわらず、教養や芸事が重んじられてきた街なのです。

一の湯

金沢の街は「空から謡が降ってくる」。

 茶道も、金沢では日々の生活に、当たり前のように根づいています。茶道は、まさに日本の「総合芸術」。美術、工芸、詩歌、菓子、建築など、あらゆる分野の知識とセンスが求められます。また書や花、香など、「道」を極める世界をも内包しています。その茶道に日常から親しみ、感性を磨き続ける金沢の人々と街。暮らしの中に時折りかいま見える美へのこだわりは、思わず息をのむほどです。
 見渡せば、金沢は伝統工芸にあふれています。絹織物の産業が盛んなことから、加賀友禅が生まれました。加賀五彩と呼ばれる艶麗な色彩と、自然描写を重んじる絵画調の絵付けが美しく、染色工程の最後に行われる「友禅流し」は地元の冬の風物詩としてよく知られています。また、金箔の製造は国内シェアの98%、銀箔は100%を占め、これらを使った工芸品も多数。他にも、漆塗や焼物、蒔絵細工、水引、和菓子など、暮らしの中で触れるあらゆるものに、鋭い美意識と職人の技が息づいているのです。

和菓子
国指定重要文化財 志摩(しま) 国指定重要文化財 志摩(しま)

国指定重要文化財 志摩(しま)
1820(文政3)年、ひがし茶屋街の形成とともに建てられたお茶屋で、今なお当時の姿を残す。建具や照明にも繊細な細工が施されている。

加賀水引

加賀水引

金沢漆器

金沢漆器

金箔工芸

金箔工芸

100年以上の歴史がある「加賀水引」(上)は、現在の立体的な水引のルーツ。艶やかな美しさの金沢漆器(真ん中)は、蒔絵技法による細密な文様が特徴。金箔工芸(下)も世界的に有名。

写真提供:石川県観光連盟/金沢市

ページトップへ