忠臣蔵の魅力を読み解く

掲載:2010年 冬 vol.05

元禄15年12月14日(1703年1月30日)は、大石内蔵助ひきいる赤穂浪士が本所吉良邸に討入りを果たした日。
この時期、ゆかりの泉岳寺では義士祭が催されるほか、各地でさまざまな関連作品が上演・放映されます。
今なおファンの多い「忠臣蔵」。なぜこれほどまでに日本人に愛されるのか?
事件を取り巻く人々に思いを寄せつつ、「忠臣蔵」の魅力をひもといてゆきましょう。
文:梅原 満

Point1

史実もフィクションも味わいつくす
歴史的事実としての「元禄赤穂事件」と、
物語としての「忠臣蔵」

『忠臣蔵義士四十七騎両国揃退図』
討入り後、大川(隅田川)を渡る四十七士一行の一場面。本所吉良邸〜築地鉄炮洲 浅野屋敷〜泉岳寺へ至る約12キロの “引き揚げの道” は、史実としての赤穂事件を体感できる人気のコースです。『忠臣蔵義士四十七騎両国揃退図』 国安画([1]歌川 国安)

 元禄14年3月14日(1701年4月21日)、江戸城松の廊下で浅野内匠頭が吉良上野介に切りつけた刃傷事件にはじまり、義憤に駆られた赤穂浪士が吉良邸に討ち入るまで。いわゆる「元禄赤穂事件」は、幕府を震撼させた一大事件として多くの記録が残されています。一方「忠臣蔵」は、赤穂事件を題材に演出を加え、フィクションとして定着した物語です。赤穂事件を思い起こさせる芝居はいくつも登場しましたが、何といっても決定版は、事件後40数年の時を経て登場した『仮名手本忠臣蔵』でしょう。実際の事件を描くことはタブーだったことから、時代背景も人物名もすべて変えられていましたが、江戸の庶民ならすぐにわかったはず。“ 赤穂事件=忠臣蔵 ” というイメージを定着させ、芝居の世界では、客の入りが少ないとき、これをかければ必ず興行が当たる“ 独参湯 (どくじんとう) ” と呼ばれる不朽の名作です。
 この『仮名手本忠臣蔵』がいわば底本となり、時に史実とも錯綜しながら、新たなエピソードが織り込まれる。日本人は、そうやって折々の時代の精神にマッチした新たな “ 忠臣蔵もの ” を生み出してきました。
 史実は史実として、フィクションはフィクションとして。どちらも楽しみながら忠臣蔵の世界を味わえば、物語はいっそう奥深さを増してゆくのです。

『 忠臣蔵 ー もう一つの歴史感覚 』

『 忠臣蔵 — もう一つの歴史感覚 』
渡辺保著 中公文庫
刃傷の理由・真実は何も語られぬまま浅野内匠頭が切腹させられた赤穂事件から、「忠臣蔵」が生まれた過程とは? 歌舞伎を中心に「忠臣蔵」がなぜこれほどまでにうけ、誰が作ったのかをひもといてゆきます。

『 忠臣蔵 ー 赤穂事件・史実の肉声 』

『 忠臣蔵 — 赤穂事件・史実の肉声 』
野口武彦著 ちくま学芸文庫
文学化された「忠臣蔵」から、そのオーラを取り除いたら何が残るか? 史料・文献に基づいて、謎解きのように赤穂事件の真相をわかりやすく解き明かしてくれます。

『 忠臣蔵 』

『 忠臣蔵 』 (上・下)
森村誠一著 徳間文庫
五代将軍派対六代将軍派の二大権力闘争という新たな視座から事件を描くドラマ。何といっても、冒頭の四十七士のプロフィールや関連人物紹介が忠臣蔵ファンにはたまらない。

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