透析を受けながら活躍する人々

掲載:2011年 夏 vol.07

堀澤毅雄さん

私は「透析患者」ではなく「透析者」です

堀澤毅雄さん

マーケティング・プロデューサー&コンサルタント

1945年、東京麹町生まれ。アルバイトで始めた家庭教師が学習塾に発展、7年間、塾経営に携わった後、サンマークグループの販売会社に入社。開発本部長の45歳のときに、透析導入。その後、副社長を最後に2000年、マーケティング・プロデューサー&コンサルタントとして独立。現在、株式会社DMP代表取締役。著書に『透析者と家族が元気になる本―全国の「達人」に学ぶ長生きの秘訣』がある。透析歴20年。

激しい震えが来て
“人はこのようにして死んでいくのか” と思った

 2004年に『透析者と家族が元気になる本―全国の「達人」に学ぶ長生きの秘訣』(サンマーク出版)という本を出しました。「透析患者」ではなく「透析者」としたのは、透析を行っている人は、透析をしているとき以外は、ごく一般の人と同じ生活をしており、患者さん扱いをすべきではないと思ったからです。
 私が透析を導入したのは、45歳のときです。仕事で訪米しサンフランシスコの坂道を車で下っているときに猛烈な吐き気を覚えました。その後は毎日のようにホテルで便器に吐いてうずくまり、体調は最悪の状態が続きました。帰国してからも日々状態が悪化して、朝起きて1分くらいはいいのですが、その後は激しい震えがきて『人はこのようにして死んでいくのか』という思いが頭をめぐりました。それを機に透析生活が始まったのです。

死から生を逆算して前向きに生きよう


  2004年、サンマーク出版より刊行

 透析で入院した当初は、体が透析についていけず車椅子で病室に運ばれる毎日でした。ベッドで仰向けになって天井を眺めていると、自分の姿が情けなくなり、気力が萎えてきて『自分の人生はもう終わりなんだな』と暗澹たる気分になりました。
 そのうち時間が経つにつれて、『畜生! 負けてたまるか! 闘ってやろうじゃないか』と心が奮い立つようになり、妻に家から本を持ってきてもらい、かたっぱしから読みあさりました。その中で司馬遼太郎の『坂の上の雲』(文藝春秋)の、正岡子規が肺結核と闘って死んでいく姿に自分がダブり、初めて死について客観的に考えるようになったのです。
 死を現実のものと考えてから、死から生を逆算して前向きに生きようと思ったんです。つまり、透析者であることに甘えて生きるのはやめようと決めたんです。

優れた医療機関と医師を探すことが大切

 本を出版してわかった点が3つあります。1つは、透析者はとても孤独であるということです。自殺を考えたり、絶望感に打ちひしがれていて、私の本を読んで「希望を持つことができた」という人が大勢いました。2つ目は意外にも透析について知識の少ない人が多いという点です。透析とは水を抜くという程度に思っている透析者が、当時は少なからずいました。3つ目は逆に知識を持った透析者と医療機関とのギャップの大きさです。患者さんが5時間透析をしてほしいと思っても、やってくれない病院があるということもわかったのです。
 現在、私は、透析歴が20年になります。この間、脳梗塞を患い、また心筋梗塞の一歩手前までいったことも。けれども、そのつど名医によって救われました。振り返ってみて一番に思うことは、『透析も病院にただ任せるのではなく、自分にとって必要な検査や治療について、優れた医療機関と医師を、各人が探すことが大切』という点です。このことは透析者に強く訴ったえていきたいですね。

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