透析を受けながら活躍する人々

掲載:2011年 夏 vol.07

深澤美和さん

いまは生かされていることに
本当に感謝しています

深澤美和さん

手話ダンスアーティスト

1973年長野県生まれ。3歳からクラシックバレエを始めるが19歳10ヵ月のときに透析開始。クラシックバレエを断念する。
手話ダンスと出会い、手話ダンスアーティストとしてプロ活動を続ける傍ら講習会、サークルの指導にあたっている。

透析を始めたときはショックでした

 手話ダンスをご存じでしょうか。聴覚障害のある人にも歌の歌詞とダンスの楽しさを伝えるパフォーマンスです。
 私はその手話ダンスアーティストを現在やっています。私は生まれつき片方の腎臓が働かないうえに、もう一方の腎臓も3分の2の機能しかありませんでした。
 腎臓が悪いとわかったのは小学校6年のときで、すでにクラシックバレエを踊っていました。とにかく踊ることが大好きだったんです。
 でも19歳10ヵ月のときに、透析を始めなくてはいけなくなりました。透析を始めると時間に拘束されるので、クラシックバレエは止めなければなりません。踊ることが私の生きがいでしたから、とてもショックでした。
 そんな失意のなかにいたとき、手話ダンスに出合ったのです。母の友人が地元でやっていたサークルにたまたま参加したのがきっかけでした。

こういうダンスを広めていきたい

 そのときの第一印象は、単純なステップで構成されていたため、物足りなく、全然魅力を感じませんでした。そんな私が手話ダンスの魅力に一気に引き込まれていくことになるのは、手話ダンスの考案者である西沢佑先生のパフォーマンスを見たことがきっかけでした。
 西沢先生のその踊りは、聴覚障害者と健常者が心をひとつにして踊る素晴らしいものでした。こういうダンスをみなさんに広めていけたらと思ったのです。
 それから西沢先生の自宅に通ってレッスンを受けたり、川崎の市民プラザで指導員の方たちと一緒になって練習に励んだりしました。でも、私は自分が透析患者であることをみなさんには言わないでおきました。透析をやっていることで同情されるのが嫌でしたし、自分が障害者だと思われたくなかったんです。
 そんな私に西沢先生は「隠さないでやっていった方がいい」と常々言ってくださっていました。そして西沢先生から日本手話ダンス友の会15周年記念大会という大きな舞台に、出演させていただきました。東京中野の「なかのZERO」ホールのその大舞台で、私は初めて自分が透析患者であることを明かし、坂本九さんの「明日があるさ」をソロで踊らせていただいたのです。私が23歳のときでした。

透析をやってきていま思う

  私は11年前から手話ダンスアーティストとして、各地でプロ活動を行い、また県外も含めて11ヵ所で手話ダンスの指導も行っています。  手話ダンスは今の私にとって生きている証だと思っています。そして、踊るために透析をしている、といっても過言ではありません。透析をやってなければ、こんなに真剣に生きていくことを考えなかったでしょう。自分が生かされていることに本当に感謝しています。

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