透析を受けながら活躍する人々

掲載:2010年 冬 vol.05

柳瀬 隆子さん

悩んでいる時間はもったいない
いつも新しい目標へ

柳瀬 隆子さん

主婦

1971年生まれ。1996年25歳のときに慢性腎炎と診断され、3年後に腹膜透析を導入。2004年、職場の同僚だったご主人と結婚し、2007年9月に女児を出産。2009年4月に生体腎移植を受ける。現在はご主人と娘さんの3人暮らしで、家事や育児に忙しくも充実した日々を過ごしている。

仕事を続けたい、結婚も、子どもも欲しい

柳瀬 隆子さん

 2007年に娘を出産しました。もし、病気にならなかったら、まだ結婚もしてなくて、子どももいなかったかもしれません。25歳で慢性腎炎と診断されたときは、あるメーカーで開発関係の仕事をしていましたが、その頃の女友達は、今でもほとんど未婚ですから。
 入社7年目、連日遅くまで残業し、仕事が楽しくて仕方なかった頃です。突然、「腎臓の3分の1がだめ、10年くらいで透析、子どもはもう産めない」と告げられたのです。食事療法をしながら、仕事は続けましたが、やはり無理していたんでしょうね、それから3年で透析になりました。
 仕事を続けたかったので、腹膜透析を選択しました。透析のおかげで身体がとても楽になったので、それまでどおり仕事をし、それまで以上に遊ぶようになりました。旅行にも行ったし、あきらめていた好きなオートバイ・ツーリングも再開しました。やはりオートバイが好きな同僚と気が合い、一緒に短距離のツーリングに行くようになって。それが今の主人です。
 しばらくして「もっと遠くに行きたいね」と誘われたのですが、私は透析があるので行けません。病気のことをうちあけたときは、これで最後かなと覚悟を決めていました。それが「透析できれば、行けるんでしょ」という意外な返事。それからは一緒に長距離ツーリングにも行ったし、研究者の彼は透析の仕組みに興味を持ち、一緒に勉強会に行ったりしてくれました。ふたりとも結婚を考えるようになりましたが、周囲を説得するのに3年かかり、その間に私たちは「子ども」が欲しいという気持ちを強くしていったのです。

病気になったから私らしく生きられた

柳瀬 隆子さん

 結婚したのは33歳。初産には高齢だったし、透析をしていると妊娠しづらいので、結婚退職と同時に不妊治療を開始しました。1回目の体外受精で妊娠したのですが、11週で流産。泣きましたけど、妊娠できることが分かったので気持ちを切り替え再挑戦し、3回目の体外受精が成功しました。お腹を圧迫しないよう腹膜透析を血液透析に変え、細心の注意を払っていましたが、6ヵ月で切迫早産に。入院して安静を保ち、9ヵ月目に帝王切開で出産しました。多くの方に支えられて危機を乗り越え、初めての我が子との対面でした。
 母親になると、娘のためにも長生きしたいと思うようになり、2009年に母から腎臓を提供してもらい移植しました。今は毎日忙しく、家事や育児に励んでいます。病気になったことを恨んだこともあったけど、悩んでいる時間はもったいない。病気になったから主人と出会えた、主人がいたから病気と戦ってこれた、おかげで自 分らしく生きられたのかもしれません。これからは、もらった腎臓の寿命がきてまた透析に戻るときのために、身体を鍛えたいと思っています。次の目標は、合併症にも負けない強い身体をつくることです。

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