透析を受けながら活躍する人々

掲載:2010年 夏 vol.04

鈴木雪夫さん

天から授かった歌声で
「生きる」ことを伝えた

鈴木雪夫さん

声楽家

1949年生まれ、透析暦10年。東北学院大学在学中に宣教師から声の資質を認められ、大学卒業後、米国ハートフォード大学音楽院で本格的に声楽を学ぶ。帰国後、男性ヴォーカルグループのバスとしての活動を経て、小坂忠さん、岩渕まことさんとともに、ゴスペルを歌うジョン・スリー・シックスティーンを結成。日本に数人しかいないオクタビストとして、コーラスグループでの活動や東京トロイカ合唱団の演奏会などで活躍している。

透析を導入して歌う喜びを実感

『晩禱』東京トロイカ合唱団
『晩禱』東京トロイカ合唱団
2005年に行われたロシア公演を収録。ソビエト時代に禁止されていた宗教曲『晩禱』が、半世紀以上を経て上演された。
問い合わせ先:恵雅堂出版
TEL:03-3203-4769

 僕の声の音域は通常のバスよりも1オクターブ低く、“オクタビスト” と呼ばれています。もともと声は低いのですが、留学したアメリカの大学で、低音の声が落ち着くのは30代後半といわれていました。帰国後、男性ヴォーカルグループに参加し、ライブハウスやキャバレーでいろいろなジャンルの歌を歌いながら、声の成長を待っていたんです。
 多発性嚢胞腎と診断されたのは、声が安定してきた40歳の頃。10年ぐらいで透析になるといわれました。父も兄も嚢胞腎なので「やっぱり」とは思いましたが、落ち込みましたね。父が透析を始めたのは今ほど技術が進んでいない人工透析の初期の頃で、闘病生活は本当に大変でした。それを見ていたからなおのこと、透析に抵抗があったんでしょうね。けれど言語障害や記憶障害まで出るに至り、透析を決意しました。
 実は透析導入の2年前に、故郷の山形・寒河江でのコンサートを依頼されていました。本当はそれが終わるまで透析を延ばそうと思っていたのですが、我慢できずに導入してしまったので、断ろうと思っていたんです。歌は体力を使いますから、透析を始めたら、もう歌うことはできないと思っていましたので。でもトレーニングをしたらだんだんと声が戻ってきて、「これならちょっとできるかな」と。それでステージに立って歌ってみたら、普通に歌えた。まだ歌える、これからも歌を続けていけると、歌えることの喜びを改めて感じました。

今の人生も僕の歌声も神からのプレゼント

鈴木幸夫さん

 透析を導入してからは、自分の声を生かせる仕事をやっていこうと、仕事との向き合い方が変わってきました。ジャンルも、自分が好きなゴスペル(黒人霊歌)やクラシックが中心になり、声楽を教えることも始めました。
 透析導入から5年目にはロシアのモスクワとサンクトペテルブルグに公演旅行にも行きました。ロシア正教の合唱曲に、オクタビストがぜひとも必要だと請われて。不安はありましたが、体はかなり楽になっていましたし、何より僕が行かなければ合唱曲が成り立たないという思いが強かった。反応もよかったですよ。「オクタビストが合唱団を支えている」と新聞にも載りました。うれしかったですね。
 ゴスペルとの出会いをきっかけにスピリチュアルな世界に興味をもち、30代半ばに洗礼を受けました。以来、メッセージを伝えるために僕の声を使いたいと思うようになりましたが、今、その思いはより強くなっています。以前はいつ死んでもいいと考えていましたが、今は透析によって生かされている、だからよけいなことは考えず、生きるところまで生きようと思えるようになったんです。そして「生きる」ことを歌いたいと。透析がなければ、僕の寿命は50歳ぐらいだったはず。そう考えれば、僕の今の人生はもうけもの、まさに神からのプレゼント。この声も天からの授かりものと思えば、きっと使わなければいけないんでしょうね。

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