透析を受けながら活躍する人々

掲載:2010年 春 vol.03

立花信一さん

今年はもう一度
富士山に登って還暦を祝いたい

立花信一さん

日本百名山踏破

1950年生まれ。透析歴30年。仕事はおもに農業と林業。20代で腎臓を悪くし、30歳で透析導入。精力的に様々なことにチャレンジし、2005年に標高1,500mから3,000m級の日本百名山すべての登頂に成功。現在、大分県日田市東羽田町に手作りログハウスを中心とした公園「信パーク」を開設し、百名山写真ギャラリーをオープンしている。

もっと自分を試してみたかった

立花信一さん

 2005年9月29日、南アルプスの赤石岳の登頂で日本百名山すべてを踏破しました。2001年に始めて5年かかりました。健康な人でも10年くらいかかるそうで、透析をしながら単独でやりとげることができたのは、自分でも驚きです。
 透析を開始したのは30歳です。今は医療が進歩して透析も楽になりましたが、最初の頃は辛く、それを忘れたくて、とにかく身体を動かそうと、いろいろなことを始めました。写真に社交ダンス、音楽・・・。
 透析を始めて2年目から、このログハウスを中心に「信パーク」という公園を作り始めました。石や木材は親の山林から調達し、15年かかりました。その頃テレビで百名山の番組を見て “次は、これだ!” と思ったのです。当時は透析をうけながら登山するのは大変なことでしたが、そのイメージを変えてみたかった。過酷な透析に耐えてきたのだから、もっとすごいことができるのではないかと思ったのです。
 2年間のトレーニングで体力と自信をつけ、2001年7月、北海道から開始。移動はマイカー、車中に寝泊まりし、食事はおもにコンビニ弁当でした。ひとつ登って降りてきて透析、もうひとつ登って降りてきて透析です。40日かけて北海道の15山を登頂。その後も、南九州、四国、東北、近畿、中部、中国、北陸とまわりました。

感謝する心があれば人生も楽になる

立花信一さん

 透析5年目頃に、透析しながら生きていく意味を考え、透析を止めたことがあります。そんな無謀な体験の結果、自分には生きて何かをする役目があるのだと確信しました。それから透析をしているから「何もできない」から、「何でもできる」に変わったのです。透析に感謝すると、透析そのものも楽になりました。
 そして百名山踏破の体験で多くのことを学びました。富士山登頂の感動は忘れられないし、槍ヶ岳、穂高を縦走した時は、最後は気力だけで登り、人間、目標に向かうときはすごい力が出るものだと実感しました。
 今、透析は充電の役目であって、病気とみないようになりました。気持ちはいつも健康といっています。今年の4月で60歳、還暦を迎えます。こんなに長生きできるとは思わなかった。透析のおかげでいろいろなことをさせてもらいました。今年はもう一度富士山に登って還暦を祝いたいし、今まで登った山々を車やロープウェイで訪れたいと思っています。
 最後に、透析を受けながらでも登山ができる時代が来ました。これも医療の進歩のお陰です。そして国の支援のお陰で生きさせてもらっていることに感謝せずにはおられません。本当にありがとうございます。

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