透析を受けながら活躍する人々

掲載:2009年 冬 vol.02

石塚浩司さん

もう一度、日本選手権を目指して
選手生活を続けることが、恩返し

石塚浩司さん

デカスリート(陸上十種競技アスリート)
市役所職員

1975年生まれ。透析歴3年。12歳のときIgA腎症を発症。安静第一の中学生活をおくり経過良好。高校から陸上競技を始め、大学時代にデカスロンの選手となる。デカスロン大会スタッフやコーチをしながら選手生活を続け、26歳で全日本選手権出場。体調悪化のため引退、就職。

2009年1月よりデカスロンを再開し、選手として大会出場を目指す。

競技として、結果を求めたい

今年、愛知で開かれるエブリバディ・デカスロンに出場します。透析になってから初めての大会です。非公認でプレーイングナビゲーター(選手兼指導者)として、みんなに教えながら試合する感じです。でも、出るからにはある程度の結果を残したいし、他の参加者には負けられない。

デカスロン(十種競技)とは、10種類の陸上競技を2日間かけて行い、合計得点で競う競技です。日本選手権まで行きましたけど、その直前に子どもの頃に発病したIgA腎症が悪化して、ドクターストップがかかりました。無理して出場し、結果は良くなかった。それからは体調は悪いし、もう陸上はできないと思うと、気持ちもすさんで、うつ寸前でした。

地元に帰って就職しましたが、選手生活が終わりってことを認めたくなくて、精神的に消化不良みたいな状態で。それに耐えられなく、反対を押し切って大会に出たんです。「生きて帰ろう!」という一心で臨んだ大会でした。結果は悪かったけど、精神的にはあんなに力が出せたことはない。悔いはなく、すっきりと、充足した気持ちになりました。その後、まもなく透析を開始します。

透析を開始する前は不安もありましたが、いざ始めてみると、透析ってたいしたことないです。「大変ですね」と言われるし、時間はちょっとかかって確かに大変だけど、誰だって大変なことひとつやふたつはあるでしょ。朝起きたら顔洗って歯磨くみたいなものですよ。時々、自分が透析をしていることを忘れちゃうときもあるくらいです。

石塚浩司さん
石塚浩司さん

もらった命なら、返したい

アスリートとして食生活には気を使っていましたから、栄養制限は苦にはなりません。タンパク質は必要ですから、医者と相談して市販のアミノ酸サプリメントを飲んでいます。それから毎日飲んでいる薬が、ドーピングにひっかかるんです。診断書を書いてもらい、その薬の使用を許可してもらいました。日本国内の大会だけですが、この薬が許可されたのは世界でも初めてらしいです。

今は毎朝、腹筋とか背筋など補強系の運動をしてから出勤します。夜は月水金が透析で、他の日はトレーニングに当てています。夜、練習が終わって芝生の上に倒れ込むと、星がきれいなんです。ジョギングのときに眺める花も美しい。前にも見ていたはずなのに、そんなこと感じたこともなかった。

今は、結婚もしたいし、できるだけ長生きしたいと思っています。透析がなかったら僕の寿命はもう終わっているわけで、たくさんの人々のおかげで生かされているなら、楽しく生きたいと思います。透析ってよく「2度目の誕生日」っていうけど、もらった命なら、返したいと思うから、僕なりの方法で、選手生活を続けることが恩返しだと思っています。

石塚浩司さん

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