透析を受けながら活躍する人々

掲載:2009年 冬 vol.02

栗村智さん

土曜日朝5時、日比谷から
「おたがい、頑張っていきましょう!」

栗村智さん

ニッポン放送アナウンサー

1953年生まれ。透析歴3年。スポーツアナウンサーとしてプロ野球・競馬中継を担当。2005年、多発性嚢胞腎のため、大リーグオールスター中継を最後にスポーツアナウンサーから離れ、現在は土曜日朝5時からの「栗村智 あなたと朝イチバン」を担当。

*多発性嚢胞腎:腎臓に嚢胞(水がたまった袋)がたくさんできて、腎臓の働きが低下していく遺伝性の病気。

不安を抱え仕事を全う

野茂英雄が大リーグに行った1995年からは毎年、1年のうち3ヵ月くらいはアメリカに行ってました。イチローとか、佐々木主浩、吉井理人とか、この人たちのアメリカでのデビュー中継を担当しました。時差で日本の時間に合わせて仕事します。夜中に運行する飛行機に乗って動き回っていました。

それが1996年かな、朝起きたらめまいがひどくて、帰国してから検査したら、嚢胞腎って言われました。実は母親がこの病気で52歳で亡くなっています。遺伝性だということは知っていたのですが、まさか発症するとは思わなかった。治療法はなく、腎不全になるかもしれないと思いながら、ハードなスポーツアナウンサーの仕事をこなしてました。2004〜5年は病状もかなり悪化して、精神的にも不安で一杯でした。

2005年、デトロイトのオールスターゲームの中継を担当しましたが、腎不全の一歩手前で、辛かったです。でも、全うしたくて、最後に、「実況担当は栗村でした」と言った後は、苦しくて、しばらく何もできませんでした。帰国して、すぐにシャントを作りました。それからちょうど3年半です。

ラジオのスポーツアナウンサーは本番前日から体調管理に気を使います。チームを組んで仕事をしますから、他のスタッフに迷惑はかけられません。水はほとんど飲みません。野球中継っていうのは、足の届かない海を泳いでいる気分なんですよ。6時にプレーボールでしょ、8時半に終わるゲームもあれば、11時半に終わるゲームもある。時には5時間半も席を離れられないですから、トイレにも行けないし、それだけの体力が必要です。だから透析を受けるようになった今でも体調管理はあまり苦にはなってないんです。

ジャケット

毎日が楽しいです

スポーツアナウンサーはやりがいがあるだけに、あきらめをつけるのも大変です。今、56歳で、そろそろ体力が衰えてきて、仕事を維持するのに必死になる年代です。僕の場合は病気のせいで強制的に止めるしかなかった。

ちょうどその頃に、会社から土曜日の朝5時からしゃべってくれって言われました。土曜の朝というと、日本全国一番眠りが深い時間です。元気だったら誰がそんなのやりたいですか。でも腎不全直前の僕には、「喜んで、体調と相談ですけど、できたらやります」と即答でした。おかげでイジイジ考えていなくて済みました。病気のおかげで、かえって早めの方向転換ができたんですね。

今は楽しいですよ。本番も疲れません。なぜって、力むのを止めたんです。力んでも身体がついて行かないですから。普段と同じ、家族に話すのと同じように放送でも話しています。そんな自然体でいると、リスナーのリアクションもフランクになってきます。最初は自分の病気の話はしませんでしたけど、2ヵ月目くらいに「実は週3回人工透析をやっているんです」って言ったら、メールや葉書がすごく来ました。「かかとが痛いんです」と言うと、「かかとのどこだ」って、「そういうときの歩き方を教える」とか来るんですよ。そんなときは本当に嬉しいです。

透析大変だねって言われて、ホント、思ったより大変です。放送ではそんなこと、洗いざらいしゃべっているんです。そして、同じ様に透析を受けてる方も、そうじゃない方も一緒に、「おたがい、頑張っていきましょう!」と、番組を作っています。

今は、60歳の定年までは、こんな風に放送をやっていきたいと思っています。夜眠れない人とか、朝早く起きて子どものお弁当を作るお母さんとか、思っていたよりたくさんの方が聞いてくれています。

70歳になっても、80歳になっても、死ぬまで僕の放送を聞いてほしいです。朝の放送を始めて、夜明けとか、季節の移ろいに敏感になりました。今までは経験がないことです。これも透析するようになって、こういう仕事に恵まれたからかなと、ありがたく感じています。

栗村智さん

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