透析を受けながら活躍する人々

掲載:2014年 vol.17

森本 幸子さん
兵庫県腎友会神戸事務所にて。素敵な笑顔と、優しい声が魅力的。とてもアクティブで、趣味もたくさん。「今後は手芸にも挑戦してみたいですね」。

最後まで、すべてにおいて現役で。
これからも人生を思いきり楽しみたい!

森本 幸子さん

総合病院勤務 事務職

森本 幸子さん
1962年、兵庫県神戸市生まれ。小学6年生の時に、アルポート症候群(遺伝性の進行性腎炎)を発症。入院後、腹膜透析を導入したが、腹膜炎により血液透析へ移行。高校卒業後、マーケティング・リサーチ会社に勤務。その後簿記1級の資格を取得し、会計事務所に転職。36歳で結婚。現在は、総合病院の事務をつとめるかたわら、体験談や透析と命を守る減災などの講演活動を行う。35歳で始めたエアーライフルや、登山などの趣味にも積極的に取り組んでいる。

人生は一度きりだから、
モットーは「思いきり仕事をして、思いきり遊ぶ」。

35歳の時から続けているエアーライフルをかまえる森本さん。本番さながらのりりしい姿が印象的。

ドライブも趣味の一つと語る森本さんが、車で走っていないのは、なんと北海道と沖縄だけ!「運転を始めてから、行動範囲が広くなって、視野も広がりました。」

 私が透析を導入したのは、小学6年生の時でした。夏に家族で山へ行き、そこで急に倒れたのです。その頃、私は1日に14〜15時間も眠ったり、食事が喉を通らないのに吐き気をもよおす状態が続いていました。学校の先生にも病院へ行くようにすすめられていたのですが、そのままにしていたのです。これは後になってわかったことですが、私の母方の家系がアルポート症候群という進行性腎炎の遺伝を持っていて、私もこれを受け継いだようでした。
 緊急入院した時は、ひどい貧血も引き起こしていました。透析をすることになりましたが、まだ年齢が幼いこともあって、将来透析から離脱できるように腹膜透析を選びました。「救命は無理」という宣言から1週間後に腹膜炎を起こして、結局、血液透析のための外シャント手術をしました。
 当時、夜間透析は一般的ではありませんでした。それに、その頃は「8時間透析」だったんですよ。今は半分の時間ですものね。思えば、この40年ほどで医療はずいぶん進化しました。本当にありがたいことです。退院後は1日おきに学校を休んで透析を受けました。小・中学校の授業は、どうしても遅れがちでしたが、友達がノートを取ってくれたりと支えてくれました。
 通信制の高校を卒業すると、リサーチ会社のコンピューター部に就職しました。学生の頃は勉強が好きではなかったのに、仕事を早く覚えようとオフコン(オフィスコンピュータ)を勉強しだした途端、面白くなってきて。スポンジが水を吸うように、どんどん知識が増えていきました。ゆくゆくはプログラマーになろうと思っていたのですが、一方で資格を取って自立したいという気持ちもありました。そこで、6年間勤めた会社を退職し税理士を目指して、経理の勉強を始めました。その後、簿記1級の資格を取得。税理士事務所にも就職して、経験を重ねながらひとり暮らしも始めました。
 35歳の時、趣味で始めたエアーライフルの教室で知り合った主人と結婚しました。偶然ですが、主人も透析をしていたんですよ。不思議なご縁ですね。でも2005年に、「いってらっしゃい」という最後のひと言を残して、突然旅立ちました。寂しい思いをしました。今は妹が近くに住んでいるので、少し心強いですね。
 今、私は地元の総合病院のリハビリ科で事務をしています。就職し配属されたのは、当初医療の現場でした。患者さんと医療者の、両方の視点や気持ちがわかりますから、これは良い経験でした。私のモットーは「思いきり仕事をして、思いきり遊ぶ」。先ほどのエアーライフルでは全国大会にも出場したり、立山や乗鞍、穂高など、山歩きもします。合併症で失った機能を嘆くより、残された機能を活かし、仕事も趣味も家事も運転も通院も、最後まで、すべてにおいて現役で。これからも人生を思いきり楽しみたいです。

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