透析を受けながら活躍する人々

掲載:2014年 vol.16

服部 榮藏さん

できない理由より、
できる理由を探すことが大切です。
その方が、人生はきっと楽しい。

服部 榮藏さん

理容師

服部 榮藏さん
1947年、愛知県名古屋市生まれ。18歳で理容師の道へ進み、3年間の修行を経て、実家の理容室で働く。39歳の時、フランス・カンヌの「理美容世界大会」に日本代表のメンバーとして参加。43歳で血液透析を導入。現在は、理容師の仕事を続けるかたわら、趣味の絵画にも情熱を傾ける。国内外での受賞も多数。

透析を経て生まれた“新しい自分”。
これからも、感謝の気持ちと生きがいを大切に。

お店の理容台を背景に。長年使い込まれてきた道具はきれいに磨かれ、今も現役で服部さんを支えている。

服部さんにとって絵画は「生きがい」。その楽しさや魅力を話される時の表情は、とてもいきいきとして元気に満ち溢れています。

服部さんが、水彩や油彩で描いた点描画。秋のやさしい光があふれる京都・大覚寺(上)と、晩秋の色づく紅葉が美しい上高地の焼岳(下)。

 理容師になったのは、18歳の時です。父が理容店を営んでいましたから、私は子どもの頃から自然に、将来は理容師になるんだと決めていました。高校を卒業後、同じく名古屋にある他の理容店に修行に出て、お世話になりました。やっぱり職人は、“外の飯”を食べなくては成長しないという思いがありましたから。3年間勉強して家に戻り、父と一緒に店に立つようになりました。
 店の仕事をしながら、一方でもっと技術を磨きたくて、講習会やコンクールにも積極的に参加しました。少しずつ上達して、39歳の時にはフランス・カンヌの理美容世界大会の日本代表メンバーに選ばれたんです。うれしかったですね。その時、団体戦でゴールドメダルをいただいたこともあって、帰国後はヘアショーへの出演や講習会の依頼が続きました。毎日、帰宅は深夜になります。心身ともに、相当疲労が溜まっていたんでしょうね。
 私は遺伝的な要因から、もともとそれほど腎臓が強くありませんでした。30代からは尿たんぱくの数値も気になっていました。でも、まさかそれほど腎臓に負担がかかっているとは思わず、43歳の時自宅で倒れ、そのまま透析導入になった時は、言葉にならないほどショックでした。何しろ、それからの私の人生は一変してしまったのです。常に体調管理が必要になり、精神面の立て直しにも苦労しました。店以外の仕事はすべてお断りし、今のように落ち着くまでに6〜7年はかかったでしょうか。ある時、「今までの自分はなくなり、新しい自分に生まれ変わった」と思うようになりました。すると、すべてを受け入れ、前向きに生きようという気力が湧いてきたんです。
 50歳の時、昔から好きだった絵を始めてみようと思い立ちました。アトリエは店です。平日の夜や休日に、自分のペースで書きます。55歳から2年間は、武蔵野美術大学の通信教育を受けました。夏に1ヶ月間、東京で実際の授業を受けるのですが、悩んだ末、思い切って店を閉めて行きました。毎月来てくれるお客さんには「困るよ」って言われましたけど(笑)。その後は、毎年国内外のコンクールに出品しています。2002年には東京都美術館の太陽美術展で初入選、翌年にはパリのル・サロン展に入選しました。パリへは展示を見に行き、現地で2回透析もしました。個展もやります。「忙しいでしょう?」「大変そうで私にはできない」って言われることもありますが、仕事も絵もやりたいことだから大変だとは思いません。できない理由より、できる理由を探すんです。その方が、人生は絶対に楽しい。今の目標は、「100年後も愛される絵を描くこと」。貴重な一日一日を大切に、これからもチャレンジし続けたいですね。

展覧会のご案内

『100の瞳の今展』
【開催日時】2014年4月15日(火)〜4月20日(日)
【開催場所】名古屋市立博物館(3Fギャラリー7)
「第1回 グループTAIYOパブリカの会」による絵画展。服部さんの作品も多数展示されます。

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