透析を受けながら活躍する人々

掲載:2013年 vol.12

福本 我們さん

デザイナーならではの自由かつ
多彩なスタイルで、精力的に個展を開催。

福本 我們(がもん)さん

水彩画家

テキスタイルデザイナーを経て、現在は水彩画を描き続ける福本さん。これまでの絵のお仕事や、透析を導入するきっかけなどをお話しいただきました。

福本 我們 [ 福本 良一 ] さん
1940年 京都府舞鶴市生まれ。16歳で京都「村尾塾」の内弟子となり、織物デザインを学ぶ。26歳で独立し、テキスタイルデザイナーに。その後「あとりえ我們創」を設立し、個展やファッションショーを開催。病を得た後も精力的に活動を続け、現在は今津に住みながら主に風景などの水彩画を描いている。

16歳でデザインの道へ。
絵に関わる仕事ができる幸せ。

福本さんが得意とするのは「雪景色」。今も茅葺の家が残る、滋賀県マキノ町在原の風景を描くことが多い。

 幼い頃からとにかく絵を描くのが好きで、16歳で織物デザインの師匠に弟子入りしました。当時は絵で食べていくというのは難しいことだったので、たとえわずかなお給料でも、寝食の心配をせずに絵に関わる仕事ができるというのは、それだけで幸せで、毎日が充実していました。
 10年間修行を続け、その後26歳でテキスタイルデザイナーとして独立。着尺染物を専業にしました。その頃は、女性もまだまだ着物を着る時代だったんですよ。東京や京都で、着物のファッションショーも開催しましたね。私のデザインは、モダンで斬新なものが多かったので、たくさんの方が注目してくださり、ショーのモデルさんも「この着物が着たい!」と言ってくれたりして、随分楽しんでもらえたと思います。

水彩画を描く福本さん。ハガキサイズであれば、一日に5枚ほど描くことも。思いついたら夜中でも筆を取るそう。

脳血栓・脳梗塞を乗り越えて
これからも一生、絵を続けていきます。

2010年の個展で撮影した写真。左は、福本さんのクジャクのデザインをもとにつくられた、桂由美さんのドレス。

 突然脳血栓で倒れ、入院したのは44歳の時でした。若い頃からの高血圧が原因だったようで、一時、右半身が麻痺した状態になりました。でも、病院のベッドの上にいるのに、寝ても覚めても絵を忘れられないんですよ。皆さんは、よく指のリハビリにクルミを使われるそうですが、私はペンや筆を持って少しずつ絵を描いていました。細かい作業を続けていたのが、結果的に良かったのかもしれません。思っていたより早く回復したのは、うれしかったですね。
 復帰後も個展を開きましたが、脳梗塞を2回患い、当時拠点にしていた京都から今津へ移りました。54歳で腎不全になり、透析を導入。今は週に3日、5時間の透析をしています。もちろん、絵は続けていますよ。2010年の個展では、風景画など約40点を展示しました。実は、43歳で出版した画集『ファンタジー 燦色有情』に収められている孔雀の絵を、ブライダルファッションデザイナーの桂由美さんがご覧になって、「ウエディングドレスにデザインしたい」という依頼があったんですが、そうして制作されたドレスも個展に並びました。現在の作品たちの中にあって、昔の仕事を思い出し、とても感慨深かったです。私は水彩画だけでなく、独学で日本画や油絵も描いてきました。作家ではなくデザイナーなので、いろんなスタイルを自由に創り上げ表現できるのが強み。一生、終わりのない「絵の旅」を続けていくのだと思います。

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