透析を受けながら活躍する人々

掲載:2013年 vol.12

藤沼 恭一さん

52歳で出合ったウクレレの魅力。
「アロハ」の心で地域や社会に恩返しを。

藤沼 恭一さん

ウクレレ奏者・講師

大好きなウクレレの講師をはじめ講演会など、精力的に活動を続ける藤沼さん。 これまでの人生を通して得た、人との関わりや生きがいについて語っていただきました。

藤沼 恭一さん
1945年 栃木市生まれ。地元で進学し、1964年に栃木市役所に入庁。40歳代の健康診断で腎機能低下と診断され、以降、定期健診と食事療法を続ける。59歳で市役所を退庁し、同年4月に透析を導入。その後、社団法人の理事長や総務省行政相談員などを歴任。現在は、ウクレレの奏者・講師として演奏会や教室を開く他、ラジオにも出演している。

定年まで一年を残して退職。
本当に悔しい思いでした。

全部で7〜8本はあるというウクレレ。大きさや素材、作られた年代によって、それぞれ音色や響きが異なります。

 52歳の時、旅行先のハワイ・オアフ島でウクレレに出会い、その音色の素晴らしさに一瞬でとりこになりました。以来10年以上弾き続けていて、今では栃木市内の数か所でウクレレ教室を開き、講師を務めています。
 もともと若い頃から腎臓が弱かったのですが、40歳台の健康診断で腎機能が低下していると知り、それからは食事療法と毎月の定期検診を続けてきました。でも50歳の時、「あと4〜5年で透析導入です」と告げられて。その時は、生きていても意味がないと思うほど落ち込みましたね。その後59歳で透析導入のため、高校卒業以来ずっと勤めてきた市役所を退職。定年まであと一年を残して退職することが、本当に悔しかったです。

ウクレレを演奏する藤沼さん。本を読むのも好きで、透析のある日は1日1冊読んでしまうこともあるそう。

毎日頭や体を動かすことが、
心身ともに良いと実感しています。

リビングには、お孫さんからの手紙や写真が飾られている。家族と過ごす時間もまた、藤沼さんにとっては癒しの時間。

奥様の陽子さんと一緒に、アロハのポーズ。陽子さんも長年フラダンスを習い、藤沼さんと共演することもあるとか。

 退職後は、自宅で静かに療養する生活を想像していましたが、知り合いから「とちぎ市民活動推進センター」のセンター長にと、声をかけられました。新しくできる施設だったので、準備も大変だと思い、最初は体がつらいからと辞退したんです。でも、ぜひにと望まれると断れない性格も手伝って、結局3年間務めました。今思うと、これが良かったんですね。家でじっとしているより、考えることがあったり体を動かして忙しくしていた方が、病気のことを考えすぎないし、みんなに喜んでもらえたりして心身ともに良いんです。その後も、ご縁があって「栃木市シルバー人材センター」の理事長や「総務省行政相談員」「社会福祉法人あゆみ園」の監事などを務めました。
 ウクレレの活動も、幅広くなりました。7年間受講生として通った教室で講師を務める他、ウクレレの演奏と人権などの講演を組み合わせた活動も行っています。FMやケーブルテレビへの出演など、多忙な毎日ですが、これが今まで私を支えてくださったみなさんへの恩返しだと思っています。「アロハの心」というのがあるのですが、まずは自分自身を大切にすること。それから家族、友人、最後には他の土地から来た人へと広がって、みんなを思いやることにつながっていく。このアロハの心を大切に、これからも体が続く限りがんばりたいですね。

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