透析を受けながら活躍する人々

掲載:2012年 vol.11

山本 晃さん

第一線の新聞記者として
現場に立ちながら透析、そして移植へ。

山本 晃さん

熊本日日新聞社 編集委員兼論説委員

透析を受けながらも、第一線の新聞記者として活躍されてきた山本晃さん。透析生活の中で、常に新しい情報を得ることの大切さを語っていただきました。

山本 晃さん
1957年、熊本市生まれ。大学卒業後、熊本日日新聞社に入社。地方支局、本社政経部を経て、91年に東京支社編集部へ異動。92年に腎不全で倒れ、透析を開始。93年に細川政権が誕生すると、透析生活を続けながら官邸記者クラブにキャップとして常駐。翌年、本社勤務に戻り、07年から地方部次長兼論説委員。09年夏、移植手術を受ける。

仕事に情熱を傾ける中、透析を導入。
最初はとても受け入れられなかった。

熊本日日新聞の上にあるのは、山本さんが書かれた新聞原稿。お仕事では、難しい事柄もわかりやすく伝えることを心がけていらっしゃるとか。

 熊本日日新聞の記者になり、今年で31年になります。3年間の校閲部での仕事を経て、取材記者として第一線で働き、仕事の手ごたえも感じ始めた矢先、急に腎臓が不調を訴え出しました。私は、学生時代に痛風を患っていたのですが、社会人になってからも、職業柄無理を重ねて、知らない間に腎臓に負担をかけていたのでしょう。
 35歳で腎不全になり、いよいよ透析の導入を勧められた時、最初はすんなりと受け入れられませんでした。ずいぶん前の話ですが、透析は「お金の切れ目が命の切れ目」と言われていたことや、治療に長時間拘束されるという話を聞いたことしかなく、その先入観があって、どうしても透析をしたくなかったんです。でも関係するデータは悪化し、疲れやだるさが取れない、貧血で長く立っていられない、カルシウム不足でイライラするといった症状に悩むことも多くなりました。

山本さんがお仕事をされている、編集委員室にて。毎日ここで、新聞記事を執筆されている。

病気や透析について、とことん調べる。
その知識が、より良い人生に導いてくれる。

2009年に、奥様から提供を受けて腎臓を移植。以来、毎朝起きると、奥様の名前にちなんで「あき姫」と名付けた右下腹部にある移植腎に手をあて、挨拶されている。「支えてくれた妻や子どもたちへの感謝の気持ちは、言葉では表せません」。

 自分の最期を覚悟しながらも、透析治療の詳しい説明を聞きました。すると、透析に対する今までの考え方が、すっかり変わってしまって。透析には血液透析の他に腹膜透析があること、社会復帰が可能であること、治療には公的助成もあること…知らないことばかりでした。これをきっかけに、透析のことを勉強しました。また、主治医のご紹介で、透析治療の患者さんと面談。こうして、病や治療法に関する最新の知識を得られたことは、透析生活の質の向上を叶え、後々、新手法の腎臓移植に踏み切る大きな動機にもなりました。じっと待っていても、得られるものは少なく、得られたとしてもその大切さは実感しにくいでしょう。しかし「良くなりたい」という信念を持ち熱意とともに行動すれば、必ず良い治療にたどり着くはず。病気としっかり向き合うことが、満足できる人生につながると思います。

書籍のご紹介
『透析生活17年 ―新聞記者の移植体験記―』 出版/岩波書店 1,890円

透析導入までの経緯や、透析生活、腎臓移植への決断、支えてくれた家族や身近な人たちへの思いを綴った一冊。2009年7月から熊本日日新聞で連載された「命つないで―透析から移植まで―」を加筆、単行本化。

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